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漫画家に私にできること

能登半島の地震、九州の火災、山手線の車内刃物殺傷事件。

私の家にはTVがないのですが。
年始は妻の実家にお邪魔していたので、
TVをつけると、重いニュースが流れてきます。

SNSのタイムラインでも。

こういうとき、
漫画家として何ができるだろうか?
と考えます。


少なくとも消防士や医師や看護師の方々のような、
直接的な救援はできない。
それは漫画家に限らず多くの職業がそうなのだと。

もちろん個人的に寄付したり、
身近な親類や友人が被災した場合に
助けたりすることはあるかもしれません。

あとは漫画を読んでもらって、
その時間は被災のことは忘れることができた。
ホッとしたなどということもあるかもしれません。

しかし瓦礫の下に埋まっている方を助けることはできないし。
怪我をした人を手当することもできない。
個人的に救援物資を配りに行くと、本職の方々の妨げになる。


では漫画家としての私は全くの無力なのか?

分かりません。

ただ漫画家は、自分の価値観を倫理観を世界観を、世の中と共有することができます。

例えば私は入道雲を見ると、
「ラピュタがありそう」などと思ったりします。
ラピュタという作品が、私の世界の見方を豊かにしてくれます。

バスケットゴールを見ると、
桜木花道がダンクしている姿を想像して楽しくなれます。

自分の正解を、誰かに押し付けてしまいそうなとき。
寄生獣ミギーの「お互いを理解し合えるのはほとんど『点』なんだ」
という一言が、ストップしてくれます。

しっかりと漫画が届けば、
読者さんの心にキャラクターを世界観を
棲まわせることができるのです。

これは良くも悪くも。

ただ「影響を与えることができる」
「価値観を変えることができるんだ」と
思い切れるほど傲慢なわけではありません。

これはある種の願いというか。

酸素に比べたら、飲み水に比べたら、
暖かいベットに比べたら、衣服に比べたら、お風呂に比べたら、
漫画や映画や小説・アニメは、
生きていくのに必要とは言い難いものかもしれません。

余暇を潰すための、
消費物なのかもしれません。

しかしならば私はなぜ漫画を描いているのか?
それは私の人生には、
漫画がコンテンツが、
物語が必要だったからです。

漫画を描き始めたスタートは
自分が楽しいからです。

しかし無人島で1人描き続けるのは想像しにくい。
社会といかに接続するか、
それがとても大事なファクターで。

私は私が大事にしている価値観を、
人生を豊かにするような視点を、
作品にこめていたい。

自分自身が出会ってきた
素晴らしい作品たちのように。

漫画家ができること。

それが何なのかまだよく分かりません。
言語化もできません。

しかし私の人生には物語が必要でした。

これからも漫画という大きな文化に、
触れて、繋がって、積み重ねていきたいのです。

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