結果を凝視せず、過程を楽しむ
先日、iPadのフィルムを貼り替えた。
ペーパータイプのフィルムだ。
描き心地が、紙に近くなるので愛用している。
(ちなみに自分がいつも使ってる、フィルム↓)
フィルムを貼らないと、画面がツルツルして、手が疲れる。
なので定期的に、月に一回ほどの頻度で、貼り替えている。
貼り替えると、描きやすい。
こんなことなら、もっと早く貼り替えればよかった。
そんな風にいつも思うのに。
必ず先延ばしにしてしまう。
先延ばしは永遠のテーマである。
論文にできそう。
なぜ先延ばししてしまうのか?
それはつまり、張り替えるのが、面倒くさいから。
きっと本当は、
2週間に一回くらいの頻度で、張り替えるべきものなんだけど。
「面倒くさい」が、「描きづらさ」を、
あきらかに超えて来ないと、
フィルムを変えない自分がいる。
そのうち「フィルム変えないと心地よく描けないのは、自分の技量が足りないせいではないのか。フィルムを貼り替えないことで、自分の成長を促すのだ」
などと。
意識が高いんだが、低いんだか、よく分からない屁理屈を並べ始める。
怠惰、これは詰まるところ怠惰である。
そして先日、ついに自分の怠惰と向き合う時がきた。
フィルムを変えるタイミングである。
そして、貼り替えている時に気づいた。
この『貼り替える』という作業。
意識を『張り替え終わった』という結果、に持っていくか。
『張り替えている最中』という過程に、持っていくかで。
心持ちが変わることに。
面倒くさくするか、楽しくするかは、自分の心持ち次第である。
多分。
結果に意識を向けるか。
過程に意識を向けるか。
それは
未来に意識を向けるか。
今に意識を向けるか。
ということでもある。
つまり過程に、意識を向けて楽しんだ方が、
面倒くさいなという気持ちを、抱えずにすむ。
そんな気がした。
結果や未来は、
今の連続の、その積み重ねの上にやってくる。
「結果のために、楽しめない過程を、無理しながら頑張る」
よりも、
「過程を楽しんでたら、気づいたら結果が来てた」
くらいの方が楽しそう。
もちろん、当てずっぽうに、過程を積み重ねていても。
自分を楽しませてくれる結果は、やってこない可能性が高いから。
ある程度の結果、目的、方向を向きながら、過程を積み重ねていく必要はあると思うけど。
なんというか意識バランスの問題で。
結果を意識しすぎたり、求めるすぎると疲れるな、という感じ。
自分が進めべき、未来を定めたら。
後はそこに向かって、今に集中、楽しむ。
それくらいのバランスが、ちょうど良いかも。
そんなことを考えながらした、フィルムの貼り替えでした。
ではまた。
さようなら〜
今週の袋とじです。
日記漫画6P。
「初めての喜び」
「オオカミとゴリラ」
みんなそれぞれ本棚を持っていて、私も私の本棚を持っています。すでに名作や傑作でいっぱいの本棚に「自分の作品を差し込みたい。」それが私の挑戦です。たくさん作品を生み出して、トライしていきます。助力いただけると嬉しいです。