「空気を読む」ことの加害性
「池田くんは殴りたい」という漫画をXにポストしているのですが。
(思春期の学校という箱庭の窮屈な空気感や、スクールカースト。その中で上手く泳げない少年を描いた作品)
先日その「池田くん」の12話に関連したテキストをポストをしました。
「作中の首を絞めるというワンシーン、実体験が元になってたんです」という旨のポストです。
そしてその実体験とは20代の頃、バイト先で起きたわけですが。
このポストをした後に、当時のことを思い出しながら、色々と考えたんです。そして、これだと自分が被害者になっているなと思いました。
まあ実際、被害者だったよなと今でも、ある程度は思っているのですが。
相手を加害者として描き過ぎている気がして…少しだけ居心地が悪かったので。その辺りを少し整理するために、noteに手を伸ばしてみました。
とは言え仲が良かったわけでもなく、ちゃんとぶつかったわけでもないので。相手の事情は正直分からなくて。
私からしたら正直「加害者」として処理してしまっても、まあ問題はないというか、そんなにおかしなことでもないような気もしますが。
とはいえ「悪役にも事情がある系」の物語が好きな身としては、悪を押し付けるのは、価値観に反するところもあります。
なので上記のポストで自分が言いたかったことはなんなのか?それをもう少し考えてみたいと思います。
■「空気読む」ことの罪と罰
考えた結果。この話のポイントは私が「空気を読めなかった」ところにある気がします。
↓ここの「お金のためです」の部分
首絞められ事件に至る分岐点。
つまり私が「空気を読めていたら」回避できていた世界線だったのかもしれません。もっと上手くやれていたら、バイト先が居場所になっていたかもしれません。
そこを左右したいわゆる「空気を読む」ということ。
私はこの「空気」というのが苦手です。違和感を感じます。
しかしこれはある意味、身勝手な言い分で。
自分だって自分が楽しい場所では「空気を読めない人」に対して、イラつきもするし、嫌悪感も抱きます。
ただ私は両方の立場を経験しているので。そのイラつきを諌め、バランスを取ろうとはします。
「空気」というものを軸に人は、被害者にも加害者にもなり得る。
そこが恐ろしいし興味深い。もしかしたら「池田くん」のテーマはそこにあるのかもしれません。
みんなそれぞれ本棚を持っていて、私も私の本棚を持っています。すでに名作や傑作でいっぱいの本棚に「自分の作品を差し込みたい。」それが私の挑戦です。たくさん作品を生み出して、トライしていきます。助力いただけると嬉しいです。