
よだかの星とオオカミ
「よだかの星」
宮沢賢治の作品です。もちろん「銀河鉄道の夜」も好きなんですが(カムパネルラ、ジョバンニ、ザネリ…)
当時20代前半の僕には、よだかの物語がぶっ刺さりました。
主人公はタカになれない醜い鳥“よだか”。森のなかに居場所がなく、生きづらそうにしている。
情けなくて哀しくて、ここじゃないどこかに行きたいと願っていて、そしてさまよい疲れ切った果てに、星にむかって飛んでいく…その姿が何ともいえず美しい。
読み終わったあと、これは自分だと思いました。
小学生の頃。
自分の家は森に囲まれたような僻地にあって、壁にはツタが絡みついていました。(ラピュタっぽくて好きでしたが)家から学校までは歩いて1時間かかるような陸の孤島で、特に小学生にとっては通うだけで冒険気分です。
1番近いクラスメートの家でさえ歩いて20分。
その子の家にはスーパーファミコンと「星のカービィDX」があったので、下校後、走って7分で遊びにいきました。そのおかげか冬のマラソン大会では毎年2位。
とうぜん近所に同年代の子供はほとんどいないので、年上ばかりと遊んでいました。
そんな所に城をかまえる両親ですから、やはり少し変わっていて。父親にはよくキャンピングカーで連れ回され、家にはLEGOが山ほどありました。
育てられた環境が何だかクリエイティブだったせいなのか…いつ頃からか周りとズレを感じるようになりました。
例えば、小学3年生。夏休みの読書感想文。
初めて見る何だか面白そうな課題に興味をもった自分は、その他の宿題をほっぽりだして、夏休みの半分を読書感想文にあてました。題材は「名探偵ポワロ」。
小学3年生したら領くん渾身の感想文は、教頭先生を動かしました。校内放送で呼び出されたのです。なんぞや賞でも貰えるのではと、ルンルン気分で駆けつけると教頭先生は一言、「これお父さんに書いて貰ったろ?」
そう、怒られました。
その時の教頭先生の顔を今でも覚えています。しぶしぶ子供っぽい文体に書き直し、再提出しました。既存の文章を参考にしすぎたのが裏目にでました。それ以来読書感想文は書いていません。
授業中でも先生の質問に答えると、周りからよく笑われました。「可笑しなことを言ったつもりはないのに」
自分の挙動が可笑しかったのか、答えが素っ頓狂だったのか。“天然”だね、と言われることも多く。笑いをとれるのは楽しい反面、だんだんと自分が異物であることを自覚していきました。
中学生に上がる頃には、それはハッキリとした輪郭を持っていて。親しい集団の中、自分だけが少しズレた位置から会話をしているような感覚でした。
そんな思春期はゲームや漫画の恰好の温床。
部活が終わって帰宅、夕ご飯をすませたら、自分の部屋にもぐりこみ。まずプレステかゲームボーイアドバンスの電源をいれます。
1人で没頭する時間と空間が我が人生、裏の青春でした。(「アークザラットII」は忘れることのできない、プレステの名作ゲーム300時間はやりました、オフラインだというのに。)
ひとり遊びでしか満たせない欲求を、貪り食う毎日。
高校生になると舞台はBOOKOFFに移り、装備はプレステ2に変わりました。ゲームをジャケ買いするのが趣味になり、前情報をいれず、当たり外れを見極めるのが楽しみでした。
表舞台はバスケ部。
この辺でやっと自分はチームスポーツに向いていないことに気づきます。
試合中のチームメイトはエイリアンみたいで、何を望んでいるのか全く分からない。
とうぜんチーム内の評価は低かった。後輩から舐められまくりんぐでした。
ただ自分は永遠とフリースローの精度を高めていたかった。高校3年最後の試合は悔しさも涙もなく終わりました。
「フリースロー個人種目があればオレが優勝したのでは」と呟いてみたり、しかし緊張しいなのでそれも無理だなと思ったり。
それでも
やはり人と関わらずに生きていくことは出来なくて、一人は寂しくて死んでしまう。
だから今だにずっと、自分の言語が通じる場所を探していて
けど多分それは、自ら作りださないといつまで経っても存在しない世界で。「どこか遠くへ」と願っているだけでは、まわりの景色は変わらなくて
よだかのように飛んでいかないと。
自分にとっては漫画がソレで、どこか遠くへ飛んでいけるような気にさせてくれるキーアイテムです。
きっと「眠れないオオカミ」のオオカミは自分自身の化身で。
よだかは最後、美しくやさしい星になるけれど、オオカミはどうなるのか。描き続けていればいつかどこかにたどり着けるのでしょうか。